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中韓を知りすぎた男さんのブログよりの転載です。
④魯迅の白話文 12月23(木):中韓を知りすぎた男 (fc2.com)
前回「今の中国語は、日本語から作られた」ということを書きましたが、証明
したいと思います。今の中国では「科挙」が行われていた時代の漢字は、もはや公的には使用
されていない。漢字はもちろん使われているわけだが、現代日本の真似をし
て、前置詞や助動詞を明確に期すことによって、古典の素養など無くても
文章がかけるようになった。この漢文の弊害を認識し、口語体を生み出すことに最大の功績があったの
は「魯迅」であった。魯迅が国に帰って、短編小説を猛烈に書き出した。
従来の漢文を捨て、白話文という新しい口語の文体を用いて書いた。彼の頭の中には常に日本語の文章があり、それを漢字に置き換え
て表現することによって白話文を創作しました。この文章だけで「中国語は日本語より作られた」という最初の文章が理解
できたと思います。魯迅は留学によって、頭の中身をすっかり日本人の脳みそに入れ替えた。
日本人の暮らしをし、日本語をマスターすることによって、初めて「近代人」に
なった。彼の「阿Q正伝」を読めばよく分かる。彼の白話文は日本語を下敷きにして作られた。みすぼらしい阿Qは、2千年
来、何も進歩していないのに、それを認めようとしない中国人の姿が描かれ
ています。中国の近代化にとって、日本語が果たしたのは単に文体だけのことではない、
現代中国語のボキャブラリーもまた日本語からの借り物である。中国には恋愛小説がないとよく言われるがなぜなら漢文は情緒表現に
向かない。ということは恋愛感情の発達にも大きな影響を与えた。つまり
漢文が発達したことによって、中国人は洗練された形での恋愛というものを
知らないままに20世紀を迎えてしまった。このように述べるとたいていの人は「そんなことは無い、中国小説に『紅楼夢』
という恋愛小説があるではないか」と反論される。ある評論家など日本の
源氏物語であるなどと高評価するがしかしその中身といえば、あまりにも
レベルが違いすぎる。源氏物語の主人公・光源氏はたくさんの女性と恋愛して契を交わしていくが
紅楼夢の主人公が肉体関係を持つのは、祖母から与えられた腰元ただ一人
である。はたして、与えられた下女に手を付けるのが恋愛と呼べますか。「金瓶梅』に至っては完全な好色小説であり、行為のみが書かれています。
まず。まず第一に恋愛というのは男女間の情のやり取りとか駆け引きなど
一種の知的ゲームである。単に肉体関係を結ぶだけでは、恋愛とは呼べない。言葉の進化・言葉の洗練なくして、人間の情感の高度化・繊細差というも
のは誕生しない。だから中国では本当の恋愛小説は育たない。中国語の言葉の進化・洗練されてない例が、最近、安倍氏の「台湾有事は
日本有事。すなわち日米同盟の有事でもある。この認識を習近平主席は
断じて見誤るべきではない」と強い口調で述べた。この事に中国報道官は「安倍氏の頭をかち割って血を流すだろう」と言った
のです。このような下品な表現しか出来ないとは、中国人は間違いなくなら
ず者である。現代中国人の異常に肥大したナショナリズムが大きな原因だと思われるが、
それにしてもあまりにも下品な言葉、欧米各国の報道官が相手国を攻撃する
場合、このような残酷で下品な言葉を使ったのを聞いたことがない。これに対して安倍氏はユーモアたっぷりに「私の態度表明が中国側に注目
されて大変光栄に思う」といったのです。一流人と三流人の違いです。話は飛んでしまいましたが、それでは、今日の大陸における中国語状況は
どうなっているか、簡単に言えば旧来の漢文の位置を、北京語をもとにした
「普通話」(プートンホワ)が占めるようになっています。しかし中国においては、まだまだ公用語の「普通話」が読み書きできるのは、
あまり多くありません。そしてそれができる人が新たな知識階級になりつつ
あります。
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④魯迅の白話文
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